ミクストメディア作品『Red Riding Hood』

RedRidingHood
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まだ幼かったあの日、祖母とともに悪夢のような出来事から救われた。自分と祖母がどんな目にあってどう救われたかという話は聞かされているけれど、実際自分にはその出来事の記憶が残っていなかった。

その後、今日までこの森のなかの小屋に足を向けることはなかったけれど、心の奥底に何か得体の知れないものが潜んでいるような気がしていた。祖母はあの出来事のあと臥せってしまい話すことも曖昧なままこの世を去った。全てを知っているはずの猟師はその後一度も村に姿を見せることがなかった。そして、私の奥底に潜む得体の知れないものは正体がわからないからこそなのか、日毎に心のなかをどんどん占領していった。

恐ろしいことがあった森だから近づいてはいけない。そう言い聞かされて育ったけれど、私には荒唐無稽な出来事と奇跡の救出の物語の現実感がない。ただ、その日のことを思い出そうと目を閉じると私の奥の方で得体の知れないものがもぞもぞと蠢くような感覚があるだけ。何度も何度もその日の話を周囲に聞いたけれど、誰の口からも同じ物語を聞かされるだけで、得体の知れないものの正体を照らす光は見つからなかった。あまりに何度も、あまりに根掘り葉掘り聞き出そうとする私に周囲はなにかよくないものを感じ取ったのだろう、今ではあの幼かった日の出来事を話題にすることは禁忌になってしまった。

あの森の小屋へ行けば何かがわかるはずだ。得体の知れないものに支配されてしまいそうで、何も手につかず居ても立ってもいられない状態になっていた私は、意を決して、誰にも告げず夜明け間もない森へと続く道に立った。

まだ暗く静まり返った森に足を踏み入れると、靴底越しの濡れた下草の感触や湿ってひんやりとした空気が私の奥に巣食う何かをチリチリと刺激するような感じがする。鬱蒼とした森だという記憶しかなかったけれど、しばらく歩くと明るくひらけた場所に出た。背が低く可愛らしい葉をつけた草が地面を覆い、白と薄い赤色の花が散りばめられたその広場は先程までの肌寒さも忘れるようなまどろみの空間で、夢の中にいるようなふわふわとした気持ちになる。「そうだ、あの日もここを通って、いくつかお花を摘んでいったのだわ」閉じられた記憶の扉が開き始めるような気がして、少しの間その心地よさに身を任せていると…「ガサッ」夢のカーテンを引き裂くかのような背後からの物音が一瞬にしてそのあたたかな空気をなぎ払い、緊張を走らせた。

振り返ることもできず、あの小屋があるはずの方へと走りだす。背後に私を追うように草を蹴る何かの跳ねる音を聞きながら懸命に走ったが、緊張のせいか両足は私の前へ進もうと強く欲する指令についてこれず、もつれて地面から離れてしまった。地面に倒れ込んだ衝撃でしばらく身体が動かせず、焦りと恐怖に凍りつきながら必死で周囲の物音を聞き分けようと耳を澄まし、迫ってきたものがどこにいるのか探すためにガタガタ震える首をなんとか回して周囲を見回した。

身体を斜めに地面に打ち付けたまま横たわる体勢で、首だけ身体の先を見上げる格好になったとき、視線の先にそれがいた。白く透き通ったような不思議に光る体毛に覆われたそれは、目も鼻も口も耳もなく、狼のような形をしたものだった。体は小さくみえるけれど、近くにいるのか遠くにいるのかうまく理解できない不可思議な存在感を放っている。深い息遣いにゆっくり身体を揺らしながら、倒れこんだ私の先に姿勢よく座った格好で、目のない顔で私を観ているのを感じる。

あまりに唐突に現れたそれの不自然な姿と、それに反した自然な存在感に圧倒されて、身体を縛っていた恐怖や焦りを忘れていることに気がついた瞬間、それの向こう側に、苔むしたあの小屋があることにも気がついた。私が小屋を見つけたと同時にそれも小屋の方を振り向く。私はそれが私を傷つけるものではないと直感して安心し、ゆっくりと身体を起こしてその場に座り込んだ。

目も鼻も口も耳もない顔を私と同じように小屋の方へ向けるそれの姿に見慣れてきて、小屋への興味がよみがえり始めると、私の中の、あの得体の知れないものが今までで最も強く大きくなり始めるのがわかった。すると、異常を察するかのようにこちらへ向き直った狼の形をしたそれが、今まであれほど優雅に見えた振る舞いと打って変わって身体の隅々までがこわばりはじめ、不思議に光る体毛が逆立ち始める。私は自分の心のなかと呼応するかのような現象に目を奪われながらも心の奥底の得体の知れないものが何かを吐き出そうとしているのではないかという期待と怖れを感じて両手を強く握りしめる。そんな私の反応を感じ取ったのか、狼のような形をしたそれはぐいっと顎を持ち上げて体を反らし、遠吠えのような姿勢を取る。声こそ発しないが、それの吐き出す気迫のようなものに森全体が震えている。周囲の空間までもが震え始めたとき、それが少しずつ上へ向かって伸び始めていることに気がついた。私の心のなかで得体の知れない何かがいっそう強く私を揺さぶり、まるで内側から食い破ろうとするかのように暴れる。狼のようなそれの発する声なき遠吠えが更に大きく強くなり、その足元から何かを吸い上げるように体毛が赤く染まっていく。すると私の中で暴れるそれは地面に吸い取られていくかのように身体の下の方へおりていく。狼の姿が首のあたりまで赤く染まったあたりで私の身体の中からすぽんと何かが綺麗に抜け出た感覚があった。遠吠えを止め、伸びていた体をぐぐっと屈めて少し震えた狼のようなそれは、もう私への興味を失ったのかこちらへ一瞥もくれずに上空へ向かって飛び上がるように一気に躍動し、どの瞬間に消えたのかもわからない速さで私の目の前から姿を消してしまった。

突然に起きた出来事にしばらく呆然としていた私は、すでに目の前の小屋への興味を失っていた。いえ、もう、私の中にあの得体の知れないものはいないのです。


Red Riding Hood
作品形態:ミクストメディア作品 壁掛け
サイズ:横幅約740mm × 高さ約530mm × 奥行60mm
制作時期:2012年11月~2014年3月
素材:MDFボード、石粉粘土、アクリル絵の具、木、その他
販売価格:120,000円(送料、保険料別途)


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