このTシャツの中心にあるのは、
「我思う、ゆえに我あり」で知られるデカルトの命題です。

とはいえ、哲学をそのまま着られるわけじゃないので、
今回はそこに少し遊びを加えてみました。
ポケットの写真を背景に、デカルト(17世紀に活躍した哲学者/数学者)の有名な一文「cogito, ergo sum.」と、アンブローズ・ビアス(アメリカの作家/ジャーナリスト)の皮肉めいた指摘「cogito cogito, ergo cogito sum.」を配置。
余談ですが、ルネ・デカルトが1596年生まれでアンブローズ・ビアスは1842年生まれ。つまり二人は3世紀もの時間を隔てて生きた人物たちなんです。
僕がこのモチーフを思いついたのは、たまたま古本屋の店頭で日本語訳版の「悪魔の辞典」を手に取り購入したことが始まりでした。自宅で同書をパラパラとめくっていた時に目に留まったのがこのデカルトの命題への皮肉だったんです。

参考: wikipediaより
では、Tシャツの話に戻りましょう。
このデザインでは大事な言葉に注目を集めるようにビビッドな帯を加え、写真部分は網点でグランジっぽく処理して、全体をパンクな空気感で包んでいます。
この命題が、このTシャツで表しているのは ──
「ポケットが自らの存在を認識しているから、ポケットとして存在できている」
という、ちょっと変わったメタ的な視点。
かつては胸ポケットそのものをプリントに使い、
「ワレ オモウ、ユエニ ワレアリ。」とカタカナで添えたりもしました。
この時はラテン語の「cogiro, ergo sum.」は背景のポケットにうっすらとかすれてレイアウト、その上に当時デカルトはこの一文をフランス語で提唱したんじゃないか?という考えを表すためにフランス語で表記しています。

実はこのデザインには組になったもう一つのデザインも同時にリリースしていて、それがアンブローズ・ビアスが「悪魔の辞典」で「デカルトの…」という項目で指摘した「cogito cogito, ergo cogito, sum.」をモチーフにしているんですが、なぜか最後の部分を「cachito mio」と書き換えていますね……なぜイタリア(スペイン)語? 全く覚えていないけど、きっと当時何かの意味があってそれが面白いと考えたんでしょう。

一度目のリデザインでは、命題と皮肉を⇔(同値記号)でつなげ、
全体の構造を俯瞰してみせるように整理。

そして今回、三たび形を変えながらも、
テーマの根っこはずっと変わっていません。
僕にしては少しアバンギャルドなデザインですが、
世の中の「常識」や「正しさ」みたいなものに
ふと肩透かしを食らわせたくなることって、ありませんか?
このTシャツは、そんな気分のときにこそ、
しっくりくる一枚かもしれません。
8/25まで販売中
hiderino GENERAL STOREではこのデザインを含め10種類のデザインTシャツを、日本国内に向けて2025夏のTシャツコレクションとして販売しています。
⇒ ストアページへ